自転車と鉄道というのは、なぜか相性がいい。いや、日本の鉄道環境においてはまだほとんどの路線において、自転車を載せる場合には折り畳むか軽く分解して「輪行」というパッキング方法をとらなければ、サイクリストとともに列車に乗ることさえできない、という大いなる不便が存在していることは重々承知の上で言うのだが。自転車には詩がある。強大な原動機をつけ、地上のかりそめの王のように道路を疾走する自動車にも、虚空の3次元を自由に舞う金属の鳥、飛行機にも、大洋の波浪を切り分けて進む数万トンの浮ける構造物、汽船にも、あるいは真空の漆黒である星ぼしの闇へ、紅蓮の焔を焚いて上昇してゆく宇宙船にも、それらがどんなにこの物質世界の力の領域で大いなる存在として君臨しようとも、非力で華奢で、幼子ほどの重みしか持たず、それひとりでは走ることはおろか、まっすぐ地上に立つことさえままならない、この自転車という乗り物がたたえている一篇の詩に代わるものにはなれぬだろう。
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自転車に匹敵するほどの詩情をたたえた乗り物がほかにあるとすれば、それは、帆船やヨット、木製の手漕ぎボート、気球やグライダーぐらいなのではなかろうか。およそ、強大なる原動機をつけた乗り物のほとんどは、詩的なものから遠く隔たったところにある。しかし中には、鉄の塊のような乗り物の中に例外もあるのであって、それが鉄道車両だと私は思う。まあハイテク満載の超特急などは別にしても、少し旧めのものを中心に、鉄道車両とそれを取り巻く付帯設備、要するに線路とか駅とか踏切とかまで含めて、鉄道というものには、自転車に比肩しうる詩があると思う。それがなぜかは私にはよくわからない。なぜバスターミナルというもののほとんどが、鉄道の駅のような詩情は持ち合わせてはいないのか、なぜ鉄道が廃線になるとその喪失感が何十年もあとまで残るのか、なぜ、鉄道は繰り返し繰り返し映画や小説やドラマの舞台となるのか。